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あけましておめでとうございます。 [その他]
あけましておめでとうございます。
新しい年の始まりいつも決意を新たにしますが、
すぐにいつも日常に逆戻りしてしてしまいます。
わたしだけかもしれませんけども、
しかし、お正月というのは
昔から、人生の計画を見直すいい機会だと
私は思っています。
その機会を利用して、色々人生の転換を
考えてみようと思います。
それが、実現出来ても出来なくても
やらいよりやった方がいいように思います。
やってみて、初めて人は気づくことが
多いのに何故か大人になると
どうもどこかで言い訳を考え尻ごみを
しているように思います。
まずは、やってみることが重要では
ないかと思っています。
そんな2011年をスタートしたいと
思っています。
そこで、今までこのブログを仏教中心の日記として 公開してきましたが、もうひとつのブログがございまして そのブログに統合して一本化していきたいと思います。 http://kazenohito.blog.so-net.ne.jp/ 恐れ入りますが、そちらのブログにも是非遊びに来て 頂けると幸いです。
みなさんにも善きスタートになるようにお祈り
しています。
ありがとうございました。
新しい年の始まりいつも決意を新たにしますが、
すぐにいつも日常に逆戻りしてしてしまいます。
わたしだけかもしれませんけども、
しかし、お正月というのは
昔から、人生の計画を見直すいい機会だと
私は思っています。
その機会を利用して、色々人生の転換を
考えてみようと思います。
それが、実現出来ても出来なくても
やらいよりやった方がいいように思います。
やってみて、初めて人は気づくことが
多いのに何故か大人になると
どうもどこかで言い訳を考え尻ごみを
しているように思います。
まずは、やってみることが重要では
ないかと思っています。
そんな2011年をスタートしたいと
思っています。
そこで、今までこのブログを仏教中心の日記として 公開してきましたが、もうひとつのブログがございまして そのブログに統合して一本化していきたいと思います。 http://kazenohito.blog.so-net.ne.jp/ 恐れ入りますが、そちらのブログにも是非遊びに来て 頂けると幸いです。
みなさんにも善きスタートになるようにお祈り
しています。
ありがとうございました。
心の垢を落とす [ブログ]
人は、迷いの世界に入ると
不安と恐怖心に苛まれる。
そして、いつしか言い訳を始め
悪業をしてるのにそれを正当化し始める。
心は、常に変化する無常であるので
その積み重ねが、心の垢となり
善心を覆い隠す。
その垢に覆い隠された
心は、悪業を善業と思い込んで
しまうので、
いつまでたっても、不安の世界から抜け出す
ことが出来ない。
しかし、こころの垢は、垢である限り
洗い流すことが出来る。
まずは、自分が正しいと思っていることを
捨てること。
そして、人と自分を比較しないこと。
自分の心に垢があるように
ほとんどの他人にも心に垢がついています。
その人たちと比較しても、垢は増えていくばかりです。
他人との比較をやめたら、
森羅万象を想い、自然の摂理を手本とすること。
自然は、ありのままでそこに存在をしています。
風は、見えないけど、感じることが出来るし
花は、時期が来れば咲き、そして散ります。
人間だけが、欲望というものの奴隷になり、
絶えず、それを満足しようと悪業を重ねて
いるように思います。
そして、自分が善しと思うことは、
とりあえず、やってみることです。
わかっていてもやらないのは、
効き目がある薬があるのが
わかっていても、飲まないのと同じです。
心の中だけで損得勘定をしないで
まずは、やってみることです。
そうすると世界が変わるように
思います。
そして、人は心の垢が洗い流されてくると
欲望に囚われていない幼き日々の
記憶が蘇ってくると思います。
そういう心が生まれてきたら、
その人の心は綺麗になってきたのだと
思います。
不安と恐怖心に苛まれる。
そして、いつしか言い訳を始め
悪業をしてるのにそれを正当化し始める。
心は、常に変化する無常であるので
その積み重ねが、心の垢となり
善心を覆い隠す。
その垢に覆い隠された
心は、悪業を善業と思い込んで
しまうので、
いつまでたっても、不安の世界から抜け出す
ことが出来ない。
しかし、こころの垢は、垢である限り
洗い流すことが出来る。
まずは、自分が正しいと思っていることを
捨てること。
そして、人と自分を比較しないこと。
自分の心に垢があるように
ほとんどの他人にも心に垢がついています。
その人たちと比較しても、垢は増えていくばかりです。
他人との比較をやめたら、
森羅万象を想い、自然の摂理を手本とすること。
自然は、ありのままでそこに存在をしています。
風は、見えないけど、感じることが出来るし
花は、時期が来れば咲き、そして散ります。
人間だけが、欲望というものの奴隷になり、
絶えず、それを満足しようと悪業を重ねて
いるように思います。
そして、自分が善しと思うことは、
とりあえず、やってみることです。
わかっていてもやらないのは、
効き目がある薬があるのが
わかっていても、飲まないのと同じです。
心の中だけで損得勘定をしないで
まずは、やってみることです。
そうすると世界が変わるように
思います。
そして、人は心の垢が洗い流されてくると
欲望に囚われていない幼き日々の
記憶が蘇ってくると思います。
そういう心が生まれてきたら、
その人の心は綺麗になってきたのだと
思います。
自暴自棄にならない [空海]
人は、誰でも物事がうまくいかなかったり、
自分という存在が嫌になって時が
あるのではないでしょうか。
人は、ある程度の歳を重ねると、
先の人生を勝手に決めてしまい
「まあ、私の人生はこんなものか」と
いうふうに思ってしまうのでは
ないでしょうか。
しかし、私はそうは思わないのです。
その辺りに落ちている石も磨いていると
必ず光ってきます。
光った石を宝石といいます。
人生とは、善き人でありたいと常に
心がけて暮らしていると、
その人の生きざまが
光ってくるのではないかと思います。
悪心が起こった時、修正出来る善き人が
幸せな人生を送れるような気がします。
自分という存在が嫌になって時が
あるのではないでしょうか。
人は、ある程度の歳を重ねると、
先の人生を勝手に決めてしまい
「まあ、私の人生はこんなものか」と
いうふうに思ってしまうのでは
ないでしょうか。
しかし、私はそうは思わないのです。
その辺りに落ちている石も磨いていると
必ず光ってきます。
光った石を宝石といいます。
人生とは、善き人でありたいと常に
心がけて暮らしていると、
その人の生きざまが
光ってくるのではないかと思います。
悪心が起こった時、修正出来る善き人が
幸せな人生を送れるような気がします。
心が通じること [空海]
時間を費やして、いくら語り合っても、
言葉というものは、信じられないことが多い。
私たちは、言葉や外見に影響され
惑わされることも多いのではないでしょうか。
頭では、理解は出来るが何故か心に
響かない言葉に意味はないのでは
ないでしょうか。
そのことよりも、心が通じることが
大切ではないかと思う。
同じものを善しと思うこと、
同じ価値観を持つ友と出会うことが、
もっとも大切なことではないでしょうか。
この資本主義の世の中において、
人間関係がぎくしゃくしているのは、
損得勘定が優先され、欲望の中での
会話しかないところに、みんなが
疑心暗鬼に陥り、孤独を感じて
しまうのではと思っています。
そういう孤独から抜け出すためには、
外界に原因を求めず、自分自身を清らかな心に
変えていくしかないと思っています。
そして、善しと思う心を共有出来る人が
現われれば、人はきっと幸せな人生へと
向かうのではないかと思います。
言葉というものは、信じられないことが多い。
私たちは、言葉や外見に影響され
惑わされることも多いのではないでしょうか。
頭では、理解は出来るが何故か心に
響かない言葉に意味はないのでは
ないでしょうか。
そのことよりも、心が通じることが
大切ではないかと思う。
同じものを善しと思うこと、
同じ価値観を持つ友と出会うことが、
もっとも大切なことではないでしょうか。
この資本主義の世の中において、
人間関係がぎくしゃくしているのは、
損得勘定が優先され、欲望の中での
会話しかないところに、みんなが
疑心暗鬼に陥り、孤独を感じて
しまうのではと思っています。
そういう孤独から抜け出すためには、
外界に原因を求めず、自分自身を清らかな心に
変えていくしかないと思っています。
そして、善しと思う心を共有出来る人が
現われれば、人はきっと幸せな人生へと
向かうのではないかと思います。
傲慢にならない [空海]
人は、今までの経験や知識のみで
物事を判断してしまう。
その経験や知識が絶対正しいという
思い込みが、傲慢になり愚かさを
さらけ出し、人を傷つけ、自分を正当化して
しまう。
自分の愚かさを知ろうとした時、
この世には、自分の見えない物がいっぱいあって、
聞こえない音だって、色だってあることに気づく。
想像すら出来ないこともいっぱいある。
その道理を知った時、
自分は、本当に小さい人間であることを知る。
そして、謙虚であるがままの自分が
幸せへの近道であること知ることが
出来るのではないかと思います。
物事を判断してしまう。
その経験や知識が絶対正しいという
思い込みが、傲慢になり愚かさを
さらけ出し、人を傷つけ、自分を正当化して
しまう。
自分の愚かさを知ろうとした時、
この世には、自分の見えない物がいっぱいあって、
聞こえない音だって、色だってあることに気づく。
想像すら出来ないこともいっぱいある。
その道理を知った時、
自分は、本当に小さい人間であることを知る。
そして、謙虚であるがままの自分が
幸せへの近道であること知ることが
出来るのではないかと思います。
あるがまま [ブログ]
自分の今までに知識や経験などをたよりに
人は、物事の判断を行う。
それが絶対の善や正義と思い込んでしまう。
しかし、この世の中には、聞こえない音や見えない色だってある。
もう、想像すら出来ないくらいに。。。
そこに気づいた時、謙虚であるがままにの自分に
出会えるような気がします。
人は、物事の判断を行う。
それが絶対の善や正義と思い込んでしまう。
しかし、この世の中には、聞こえない音や見えない色だってある。
もう、想像すら出来ないくらいに。。。
そこに気づいた時、謙虚であるがままにの自分に
出会えるような気がします。
雑草 [詩]
雑草とはなんだろう。
草樹は、たしかにあるのに
人間が無用と思ったものを
雑草と呼ぶらしい。
光合成をして、二酸化炭素を
吸収して、酸素を作っているのに
人は、それを雑草と呼ぶ。
そんな一生懸命生きている
植物を人間は差別をして
敵のように排除する。
そういう生物をみとめないかのように。
現代人のその排他主義的な
考え方が、今の差別に
繋がっているように思えてならない。
もう一度、雑草という生物を
じっと見つめ、命に関して
考えてみる時期が人間には
来ているかもしれない。
草樹は、たしかにあるのに
人間が無用と思ったものを
雑草と呼ぶらしい。
光合成をして、二酸化炭素を
吸収して、酸素を作っているのに
人は、それを雑草と呼ぶ。
そんな一生懸命生きている
植物を人間は差別をして
敵のように排除する。
そういう生物をみとめないかのように。
現代人のその排他主義的な
考え方が、今の差別に
繋がっているように思えてならない。
もう一度、雑草という生物を
じっと見つめ、命に関して
考えてみる時期が人間には
来ているかもしれない。
幸福を想う時 [詩]
ある程度の年齢を重ねてと
人は、知らず知らずのうちに
幸福を外界に求めて
いないだろうか。
おいしいものを食べた時
幸福を感じることは
多くの人が経験をしている
とおもう。
それは、決して他人が美味しい
おもっているのではなく
自分がおいしいとおもっているから
幸福である。
だから、幸福とは外界にそれを
求めてはいけないとふと想う。
人は、知らず知らずのうちに
幸福を外界に求めて
いないだろうか。
おいしいものを食べた時
幸福を感じることは
多くの人が経験をしている
とおもう。
それは、決して他人が美味しい
おもっているのではなく
自分がおいしいとおもっているから
幸福である。
だから、幸福とは外界にそれを
求めてはいけないとふと想う。
思いやり [詩]
人を好きになると
その愛情は、永遠であるかのように
錯覚に陥る
そして、永遠の愛を誓って結婚した
二人は、やがて気持の変化という
魔物に支配されるようになる
ささいなことで
「冷たくなった」とか
「心変わりしたのではないか」などと
勘ぐったりする
愛とは、さまざまな形はあるが、
夫婦であれ、親子であれ、友であれ
共通することは、相手を思いやる
気持だと思う
しかし、強く求める心に執着しすぎると
愛情から思いやりという慈悲が消えて
しまう
そして、自己愛が生まれる
求めても得られないから、相手から不満を抱く
そこに相手に対する思いやりはない
思いやりとは、
あらゆるものを慈しむ心で
あるように思う
そういう心を持てれば
全ての生命を慈しむ心で
自分も他人と同じように
大切だと思えるようになる
そして、真の愛情が身について
いくのではないだろうか
その愛情は、永遠であるかのように
錯覚に陥る
そして、永遠の愛を誓って結婚した
二人は、やがて気持の変化という
魔物に支配されるようになる
ささいなことで
「冷たくなった」とか
「心変わりしたのではないか」などと
勘ぐったりする
愛とは、さまざまな形はあるが、
夫婦であれ、親子であれ、友であれ
共通することは、相手を思いやる
気持だと思う
しかし、強く求める心に執着しすぎると
愛情から思いやりという慈悲が消えて
しまう
そして、自己愛が生まれる
求めても得られないから、相手から不満を抱く
そこに相手に対する思いやりはない
思いやりとは、
あらゆるものを慈しむ心で
あるように思う
そういう心を持てれば
全ての生命を慈しむ心で
自分も他人と同じように
大切だと思えるようになる
そして、真の愛情が身について
いくのではないだろうか
さくらの木に思う [詩]
春の訪れとともに
さくらの花は、咲き乱れる。
その美しさに大概の
日本人は、酔いしれている。
しかし、人は花の季節が
終わると、そこにさくらが
あったということすら
忘れてしまう。
さくらの木は、いつもあなたの
近くいるのに花の季節だけだけが
さくらと思っているかのようです。
私は、花の季節が終わった後の
新緑のさくらも好きだし
秋の紅葉も好きです。
それらも全部合わせてさくらなのに
花だけがさくらと思ってしまう
人のものの見方を稚拙さを
考えてしまう。
いろいろな違ったことに
価値感を巡らせないと
違うもの遭遇した時に
排他から差別を生む
そんな気がしてならない。
忘れ去られようとして
いるさくらの木を
この入梅前にふと思った。
さくらの花は、咲き乱れる。
その美しさに大概の
日本人は、酔いしれている。
しかし、人は花の季節が
終わると、そこにさくらが
あったということすら
忘れてしまう。
さくらの木は、いつもあなたの
近くいるのに花の季節だけだけが
さくらと思っているかのようです。
私は、花の季節が終わった後の
新緑のさくらも好きだし
秋の紅葉も好きです。
それらも全部合わせてさくらなのに
花だけがさくらと思ってしまう
人のものの見方を稚拙さを
考えてしまう。
いろいろな違ったことに
価値感を巡らせないと
違うもの遭遇した時に
排他から差別を生む
そんな気がしてならない。
忘れ去られようとして
いるさくらの木を
この入梅前にふと思った。
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